卒業生の言葉(67期卒業生 2019年3月卒)

キャプテン:平本 晃太(仲尾台中出身)

 この3年間は自分にとって、とても密度の濃い時間でした。自分はこんなにもサッカーに熱中し、打ち込むことが出来るとは思っていませんでした。

 自分は最後の1年間、チームキャプテンをやらせてもらいました。自分はキャプテンには向いていないと思っていましたので、最初は何をしたらいいのかよく分からずに、試行錯誤の毎日で、迷うことも多くあり辛かったです。しかし、多くの人に支えられ、少しずつ成長することができたと思っています。先生・先輩・保護者の皆様、本当に支えてくださりありがとうございました。勝てない試合が続いても、応援に来てくださった保護者の方々、本当にありがとうございました。

 自分たちの代になってから、チームで勝つことの難しさを初めて知りました。何度も試合に負けて本気でみんなで泣いた瞬間を思い出します。リーグ戦は思うような結果が出せず、先生や仲間と試合に勝つために必死で話し合いました。熱くなって先生や仲間と意見が衝突することが何度もありましたが、今となってはそのような経験も貴重な思い出です。

 リーグ戦全敗によりK4へ降格、選手権二次予選進出を逃してしまい、期待に応えられず申し訳なく思います。自分自身でも決して満足できる戦績ではなかったです。しかし、金沢高校サッカー部での思い出全てが自分にとっては財産です。3年間学んだことを糧にこれから歩んでいきたいと思います。

三役:伊東 利駆(桂台中出身)

 自分は小・中学とサッカーをやっていましたが、それほど本気で取り組んでおらず、それほど上手くないと自覚していました。でも金沢高校の選手はみんな上手でそれぞれ特徴を持っていて、正直1年の夏には自分は3年になっても試合に出られないだろうと思っていました。それでも仲間と過ごす日々は楽しくて、自分たちの培ってきたものを全力で発揮する先輩たちが格好良くて、どうしてもサッカー部を辞められませんでした。自分も少しでもいいから上手くなりたいととにかく全力で練習し、先生や先輩が言っていた言葉はいつも頭の中で何回も繰り返し唱えていました。

 自分はポジションチェンジを2度しました。まずはAncからFWへ。次は右ワイドへ。この挑戦が自分にとって大きな転機だったと思います。最終的に右ワイドになってからは急に試合に起用されるようになったり、トップチームのメンバー入りをしたり、三役に選ばれるようになったりと、自分でも信じられないようなことが次々と起こりました。僕は本当にいろいろなことに挑戦したこと、できたことを誇りに思うし、良かったと思います。

 自分たちの代は公式戦で結果が出せず、苦しむ時期が続きましたが、それでもベスト8を目標に全員で意識をより高く、質をより高くしようと精進していました。仲間と共に高みを目指して精一杯取り組んだ日々はこれから先ずっと忘れません。サッカー部のおかげで辛いことがあっても乗り越えられたし、乗り越えていけると強く思います。

 これまでで得たもの、仲間はこの先さらに自分のことを成長させてくれると思います。今まで共に闘った67期のみんな、これから金沢をより強くしていく後輩たち、そして支えてくださった金沢ファミリーのみんなに心から感謝しています。みんな最高の仲間です。本当にありがとうございました!

三役:吉金 新之助(丸山台中出身)

 金高サッカー部でも3年間はとても楽しく、とても辛く、苦しく、とても色濃く、そして精神的に自分を大きく成長させた3年間でした。

 まず振り返って思ったのは、金高サッカー部は、今まで自分が所属したどのチームよりも一人ひとりの意識が高いな、ということでした。ポジション争いが激しく、毎日の練習がとても楽しく、充実していました。

 そして先輩たちと選手権二次予選に進めたことは本当に嬉しく、少しでも力になれたことがとても誇らしかったです。そして、自分の代でも二次に行きたいと心から思うようになりました。

 自分たちの代になり、最初はずっと結果が出ていたので、もしかしたらこのまま行けるのではないかと思っていました。しかし、リーグ戦が始まり、負けが続き始めたときに初めて今までの先輩たちが積み上げてきたものの重さを強く実感して、絶対に負けたくないと奮起しました。だから逗子開成高校戦に負けて降格がほぼ確定となったとき、それがいっきに弾け飛んだ気がして、そしてなにより、勝利に導けなかった自分の不甲斐なさが悔しかったです。選手権でもほとんど自分のプレーを発揮できず結局そのまま流れるように引退してしまいました。正直、最後の半年は合宿やフィジカル期間よりずっと辛く、悔しさばかり残りましたが、それでも仲間と一緒に乗り越え、ひとつでも多く勝ち上がろうと努力し、一丸となって闘ったことは自分の中でなによりも価値のあるものとなりました。

 また、自分がこの3年間で一番大切だと思ったことは、「失敗をそのままにしないこと」です。自分はプレーではもちろん、様々なことでたくさんの失敗をしました。自分で気づくことがほとんどですが、時には家族や先生、コーチ、仲間がそれを指摘してくれたことで気づいたことも多くありました。そして、大事なのはその後で、次同じ失敗をしないためにはどうするか考え、行動に移すことです。このことを学んだことで自分はプレーヤーとしても、人間としても大きく成長することができました。これからもするかもしれない数多くの失敗を無駄にはせず、糧にして生きていきます。

 最後に、67期へ。嬉しいときも悲しいときもみんなと笑って泣いて過ごした時間は今までの人生の中で最高の宝物となりました。本当にありがとう。大好きです。

新井 俊祐(西柴中出身)

 思い返せば高校サッカーの3年間は本当に密度が濃く、楽しい時間でした。

 1年生のときにテニスコートで少し暗い中、67期の代で選手権二次予選に行こうと結束し、気持ちが固まったのを今でも鮮明に覚えています。結果的に二次予選に行くことはできず、リーグ戦も全敗という結果に終わってしまいましたが、敗戦したたびにみんなで次の試合のことを考え、より高い意識で練習し、万全な状態で勝負に挑んだことはとても大きな財産だと思います。

 自分の中で一番悔しくて、でも金沢の良さをすごく感じたのは一次予選のブロック決勝でのクロスバーとポストにあたった2本のシュートです。どちらのチャンスも得点にすることができませんでした。しかし、そのシュートの後にみんなから「あらしゅーん」と何回も叫ばれて外したにも関わらず思わず笑ってしまい、最高のチームだなと改めて感じました。そんなチームの一員でプレーできたことはとても幸せでした。

 自分たちに関わってくれた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。何よりもラントレで辛いときも、海ではっちゃけた楽しいときも、試合で負けて悲しくて悔しいときも、荷物ジャンケンでめちゃめちゃ盛り上がったしょうもないひとときも、常に一緒にいた67期のみんな本当にありがとう。この素晴らしい高校サッカー人生は一生の宝物です。

井川 日果瑠(横浜栄FC出身)

 サッカー部としての3年間はとても楽しかったし、あれほどサッカーのことを考えた時間はもうないと思います。しかし、試合や練習でうまくいかないときや、思い通りのプレーができないときなど辛いことが多かったようにも思います。引退してから楽な気持ちでサッカーの動画を見るようになって、もっと自由なプレーをしたり、色々なポジションをやってみたり、楽に、楽しくサッカーがしたいと感じています。だから、後輩には何かにとらわれたりせずに自分のやりたいプレーをしてほしいです。もちろんフィジカルや追い込むところはちゃんとやらなければならないと思いますが、そういった純粋な気持ちを忘れないでほしいです。最後に作家の奥深さや遊びでない楽しさを教えてくれた先生方とチームのみんなには感謝しています。ありがとう!

石田 陸(初声中出身)

 高校3年間を振り返って私はサッカー部に入ってとても良かったと感じました。

 ほとんどサッカー漬けの高校生活では大変で辛いことが多くあり、辞めようと思ったこともありましたが、それ以上にサッカー部のみんなでサッカーをしたりして過ごす時間がすごく楽しく嬉しく感じたので、辞めずに3年間続けることができました。また3年間続けることで自分が人間性など様々な面で成長でき、また自分に対して自信を持つことができました。

 自分は中学からサッカーを始め、なんとなくやってきていたのですが、高校に入り、熱中して真剣にサッカーに取り組めた3年間は本当に素晴らしく、楽しかったです。ありがとうございました。

長田 優志(タイ・バンコク日本人学校出身)

 高校生活3年間を振り返ると、サッカー部で過ごした日々がまず第一に回想されます。自分は小学校5年生から中学校3年生までの間はタイのバンコクにいて、11人制のサッカーではなく、7人制のフットサルをしていました。高校1年生の最初の頃はルールや動きがなかなか分からず苦戦していました。それでも67期の皆が色々教えてくれたお陰でやっていくことができました。本当に感謝しています。

 2年半の高校サッカー生活の中では怪我をしたり、プレーが上手くいかなかったり本当に辛いと思う時期が何度かありましたが、それを乗り越えて掴んだものは本当に大きなものでした。合宿や遠征、フィジカル週間など、仲間たちと切磋琢磨してがんばった日々はとても大切な思い出です。そのような2年半をかけて挑んだ選手権では、惜しくも二次予選に出場できませんでしたが、試合中のプレーの一瞬一瞬が本当に楽しく、仲間と繋がって闘った一戦一戦どれもが自分の中ではベストゲームです。

 これまでたくさんの人に支えられ、ここまで来ることができました。先生方、コーチの方々、保護者の方々には感謝の気持ちしかありません。そして67期の皆とサッカーができて本当に幸せでした。3年間ありがとうございました!

川合 悠斗(南が丘中出身)

 自分は今までこれほどサッカーのことを考え、サッカーに全身全霊を注いだことはありませんでした。部活動の2年半を思い返すと嬉しかったことや喜ばしいことよりも、悔しかったことや苦しかったことの方が多かったと思います。自分の思い通りにいかない理不尽な世界も体験し、厳しい競争の中で過酷なトレーニングを乗り越えてきました。その経験こそが自分が成長することができた要因です。高校入学当時の自分と比べて、現在の自分は強い意志を持てるようになり、粘り強さや献身性を身につけました。サッカーの技術面だけではなく、1人の人間として成長できたと思います。また、サッカー部を通して様々なボランティア活動など人生経験をすることができたり、目上の人や色々な人たちとコミュニケーションを取る機会があり、さらに自分の人間力を磨くことができました。そのような環境をつくってくれたスタッフの方々にとても感謝しています。この2年半のおかげで自分に胸を張って社会に出ていくことができます。ありがとうございました。

北川 陸(市場中出身)

 自分は高校に入ってサッカー部に入ろうと固く決めずに、なんとなく入って、中学同様になんとなくやればいいと思っていました。しかし、部員も多くなんとなくやって試合に出られるチームではないことを感じ始めてから、今までで一番本気でサッカーに取り組むようになりました。セカンドチームにいた時間は長かったけれど、そこでの試合経験が大きかったなと思っています。自分たちの代になって試合にそこそこ出てはいたけれど挫折も何回もしたし、辛かったけれど、仲間との会話が自分を支えてくれました。金沢のサッカー部で自分たちを支えてくれる人がたくさんいて引退してそのありがたみを改めて感じました。

 3年間本当にありがとうございました。これからは応援してもらった分、応援しに行くのでがんばってK3昇格、選手権二次予選進出を勝ち取ってください。

桐谷 勇那(衣笠中出身)

 金沢高校サッカー部を終えて、一番に感じたことはもっとやっておけばよかったという「後悔」です。現在の部員からしたら何言ってんだと思われるかもしれないけれど、自分の率直な気持ちです。

 自分はこの金沢高校サッカー部には割と軽い気持ちで入りました。しかし、思ったよりも厳しくて、特にラントレなんて自分は一番嫌いで「一生懸命走ってもどうせビリだし」とか思ってしまい、自分はそこで頑張れませんでした。しかし、2年の夏頃にセカンドチームのキャプテンに選ばれて、キャプテンの使命感、というかこのままじゃ絶対にダメだ、これからは本気で頑張ろうと思いました。そんな矢先自分は治療に1~2か月はかかる怪我をしました。そこで少し上に向きかけていた自分の気持ちもそこで完全に折れてしまいました。そのまま3年になり、やはり引退直前になってくると気持ちは変わるもので、もう一度本気でやりたいと思いました。そしてここが「後悔」というものを感じたタイミングでした。もちろん自分が今までやってきたことに対してもありますが、それよりも粉川先生が自分たちのような出場機会が少ない人にも最後の最後までチャンスを与えてくれていて真剣に考えていてくれたのに、自分はこんな気持ちでサッカーをしていたのかというところです。本当に悔しくて仕方がありませんでした。逆に裏を返せば自分は本当に幸せ者でした。下手だからといって見捨てられることもなく、常に自分の個性が活かせるような場所にいれて、チームメイトもなんだかんだで優しくしてくれて、この部活に入らなかったら、自分は絶対に続けることはできませんでした。ありきたりですが本当にこう思っています。

 だからこのサッカー部で色々なことを学ぶことができました。

 そして、今、これからの自分にできることは「後悔」しない人生を歩むこと。これだけです。自分にとってこの3年間で無駄にしてしまった時期もありました。それをいつ取り戻すかはもうこれから取り戻していくしかないと思っています。なのでこの経験を胸にこれからの人生を歩んでいきたいと思います。

 今まで本当にありがとうございました。

坂本 璃音(南郷中出身)

 引退するまで色々なことがありましたが、今では高校3年間をサッカー部に費やせて本当に良かったと思います。部活動をする上で必要なものを買ってもらったり、栄養のことを考えてご飯を作ってくれる両親にはとても感謝しています。火曜日や雨の日はとてもやる気が起きませんでしたが、それでも頑張ってこられたのは、67期のみんなや先輩・後輩がいたからだと思います。

 今になって色々思い返してみると、きつかったなと思うとともに、楽しかったなと思います。金沢高校サッカー部は部活動内の仲がとても良くて、更衣室でダラダラしたり、部活動帰りにみんなとご飯に行ったりとすごく楽しかったです。公式戦では全く結果が残せず、二次予選にも出られませんでしたが、勝つための努力はしていたので後悔はないです。

 自分としては、まずサッカーというスポーツ自体に興味を持つことができました。大学では部活動はやりませんが、大人になってもサッカーの試合を見続けたいなと思います。そして、部活動を通じて得た経験を今後の生活に活かせるようにしたいです。

 金沢高校サッカー部の良いところは、生徒たちだけではなく、顧問やOB、保護者の方々全員が団結しているところだと思うので、この先もOBたちがいつでも帰ってこられるようなサッカー部のままでいて欲しいです。本当に3年間ありがとうございました。

新福 太志(根岸中出身)

 自分は金沢高校サッカー部に入って初めてシステムや戦術を意識し、様々な状況を把握しながらプレーする、本当の意味で頭を使うサッカーを知ることができたので、自分の中でのサッカーが変わり、濃密な時間を過ごせたと思います。K4に降格してしまったことは後輩だけではなく、これまで繋いできてくださった先輩方にも本当に申し訳なく思います。こんな結果の中でも公式戦には保護者の方々だけではなく、先輩や先輩の保護者の方々まで来ていただいたことは、金沢ファミリーのあたたかさを感じ、自分のその一員になれてよかったと感じました。これからは自分もどんな状況でも応援しようと思います。

 選手権の3回戦、厚木東戦で、先制されながらも全員が気持ちが折れることなく、ひたむきに前を向いて逆転できたのは、リーグ戦で負けながらもチームみんなでもがき続けた自分たちの強さが発揮された試合だったと思ったので、自分の中では少し特別な試合となりました。

 また、この3年間は人としても大きく成長できたと思います。挨拶などの日常生活の根本に加え、サッカーを通じて責任感や自己主張など、性格も以前に比べてスポーツマンらしくポジティブなものに変えられたと思います。

 最後に支えてくださった先生方やコーチの方々、保護者の方々、そして金沢ファミリーの方々、本当にありがとうございました。サッカー部での経験を糧に、これからも頑張っていきたいと思います。

須田 佳吾(ALL-Z出身)

 3年間の部活動生活を経て思うことは、人間的に大きく成長できたということです。当時は気づいていませんでしたが、今思うと中学校の頃までは自分のことばかりのプレーでした。そのせいで入ってすぐは先生に怒られてばかりで部活をサッカーをすることが嫌になることもありました。それでも金沢でサッカーをしていくうちに一試合一試合相手をよく観察して、周りとどう繋がっていかに簡単にゴールに向かえるか、その上でどう自分の特徴を活かせるかなど、とにかく考えてサッカーをすることによって自分のサッカーに対する考え方が大きく変わったのを実感しています。

 個人的に印象に残っている試合はリーグ戦の桐蔭学園高校との試合です。その直前にあった波崎遠征では後輩主体の試合を見て、みんなすごい上手くて自分はとっくに抜かれているなと思い、すごく悔しい思いをしたのを覚えています。その思いがきっかけとなって桐蔭学園との試合では自分の中ではベストと思えるプレーができ、ゴールを奪うこともでき、一番楽しめた試合でした。

 また選手権の試合はどれも印象に残っています。初戦の横浜翠嵐高校戦からたくさんの保護者や学校の友だち、OBの人たちの応援の中で闘えたことは、改めて色々な人に支えられているのだと思えました。負ける怖さや緊張があって身体が動かないと思ったのは初めてでした。それでも翠嵐高校戦、厚木東高校戦を勝てたのは本気で喜べて最高に嬉しかったです。

 悔しかったことも多かったけれど、熱い先生方のもとサッカーができたこと、チームメイトと3年間切磋琢磨していったことは一生の思い出です。本当にありがとうございました。

関町 宙哉(富岡中出身)

 3月1日に卒業を迎え、自分の高校3年間の生活を振り返った際に頭に浮かぶのは、ほとんど部活のこと、またはその仲間との日常生活のことです。それくらい金高サッカー部は自分の高校生活において、とても大きなものであり、かけがえのないものでもあります。

 良い思い出ばかりではありません。個人として上手くいかないとき、チームとして結果がなかなか出ない時期、様々な苦難がありました。でも、そんなときに心の支えとなったのは、更衣室や食堂で交わしたチームの仲間との他愛のない会話でした。時には先輩、時には後輩を交えて笑いあった後には、どんなときでも前向きになることができました。

 また、サッカー部での日々を振り返ると「信頼」という言葉が切っても切り離せません。もちろん個人として試合出場に繋がる監督や仲間の信頼もそうですが、自分が強く感じた信頼は、金高サッカー部という集団としての信頼です。学校見学での中学生の案内、朝の清掃活動、そして横浜FCの試合運営ボランティアなど、校内だけではなく、校外まであらゆる場面で「金高サッカー部」という信頼があるからこその貴重な体験を積むことができました。他者の信頼は自身の責任感へと変わり、自分を大きく成長させてくれました。このような集団としての信頼を築いてくれたのは代々の先生方、先輩方だと思うので、そういった多くの人に感謝するとともに後輩にも受け継いでいってほしいです。

 後輩に伝えたいことは、「何事も簡単に諦めず、粘り続けること」です。実際、自分は選手権を始め、公式戦にはほとんど出場できませんでしたが、自分なりに努力を続け、引退試合となるK3リーグ最終節には仲間の信頼でなんとか出場することができました。今、自分の思う通りに活躍できていない選手は多くいると思います。でもチャンスは至るところに転がっていますし、いつ自分に舞い降りるか分かりません。それをモノにするには、例え小さくとも努力を続け、常に準備しておくことが大切だと思います。だから今はダメでも決して諦めず、未来を変えるための努力を続けてください。自分が大学生になって試合を見に行ったときに意外な選手が出場しているのを楽しみにしています。

 金沢高校で過ごした時間は今までの自分の人生の中で最も内容が濃く、最も成長することができた3年間となりました。それも顧問の先生方やトレーナー、コーチ、先輩、後輩、67期の仲間、そしてなによりも家族の支えがあったからです。自分と関わってくれた全ての人に感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。 

 最後に支えてくださった先生方やコーチの方々、保護者の方々、そして金沢ファミリーの方々、本当にありがとうございました。

西川 謙太郎(小山台中出身)

 自分は本当に金沢高校のサッカー部に入ってよかったと思います。3年間を振り返ると、今まで一番サッカーに本気で取り組んだ3年間だったなと思います。そして本気で取り組んでいた中で、本当にたくさんの人に支えられてきたということも実感した3年間でした。辛く厳しい練習を一緒に乗り越えてきたチームメイト、人としてもプレーヤーとしても大きく成長させてくれたスタッフ、どんなときも応援してくれた保護者やOB、そして今まで支えてくれた親など、本当に恵まれた環境の中サッカーに打ち込むことができて幸せでした。

 引退してから学校に行く意味が分からなくなるくらい自分にとってサッカー部が高校生活の全てだったなと思います。ここで得た貴重な経験を今後に活かしてがんばります。3年間ありがとうございました。

野本 裕介(YSCC出身)

 この3年間で得た経験を通して自分は、サッカーに対する考え方がかなり変わったと思えました。中学のときはオンザボールのときのことにしか関心がなく、ただひたすらドリブルとシュートだけをちゃんとやろうと思って取り組んでいたのを覚えています。高校もそのようなスタンスでサッカーを楽しもうと心を躍らせていました。

 しかし、金沢高校に入学していざ、サッカー部に入ると、火曜日に体幹トレーニング・筋トレ・ラントレがあったり、ひたすらパスアンドゴーをやったり、夏の合宿では走りっぱなしで、自分が嫌いで避けてきたメニューが盛りだくさんでした。正直、初めの頃は必死に練習しても、手応えのある結果を出せたときも、トップチームへ上がることができず、理想と現実のギャップに落胆していたときもありました。

 何でだろうと考えた結果、やはりオフザボールのパフォーマンスの質が悪いことに改めて気づき、そこからラントレをより追い込んだり、守備での貢献を意識して取り組み直しました。そして、徐々に起用されるようになったときは、サッカーはボールを持たない時間の方が圧倒的に長いため、いかにその時間でチームに貢献できることが本質的にかなり必要であると学びました。これは高校サッカーを経験出来て良かったことの一つです。

 また自分たちの代になって試合にも出られるようにもなって、周りの人たちの支えを感じることが多くなりました。特に最後の選手権では、毎回試合後の挨拶で、保護者やOBの方々、在校生の応援を肌で感じることでこのチームで良かったとウルウルするときもありました。

 本当に感謝しています。

 3年間で喜怒哀楽、色々ありましたが、本当に濃い3年間を過ごせたのは、本当に一生の思い出です。公式戦では個人もチームも含めて納得のいくような結果は出せてないような気もしますが、やりがいも感じているし、忘れることもない高校サッカー人生でした。

 この3年間サッカー部に関わった方々のおかげで成長できました。本当にありがとうございました。これからのサッカー部も応援しています。

橋本 竜成(並木中出身)

 自分の高校生活はこのサッカー部によって成り立っていて、この部活に入り、最後まで部の一員として活動できたことを誇りに思っています。

 自分は金沢高校サッカー部を3年間やり切れたことで大きく成長し、自分と向き合うことができたと思います。しかし、初めは辛いことばかりで、何度も逃げ出したい気持ちに駆られましたが、部活のみんなや周りの人の支えのおかげで最後まで続けることができたと思っています。

 また、最後までやり切れたことは今の自分の自信にも繋がっていると思います。

 初めは怪我も多く、練習に参加することが珍しいと思われる時期もあり、最後までメンバーに選ばれることはありませんでしたが、次第に怪我もしなくなり、この3年間でいろいろな観点からサッカーを楽しむことができるようになりました。サッカーを楽しめるようになってからは少しずつですが、自分が技術的に成長していることを実感でき、仲間との絆も深まり、とても良い経験になりました。自分がいない方がいいなどと思うこともありましたが、ここまで自分が成長できたのは、先生やスタッフ、仲間たちのおかげです。最高の高校生活を送ることができました。本当にありがとうございました。

 最後に、これからの金沢高校サッカー部のみなさんの活躍を応援しています。3年間お世話になりました。

馬場 優乃介(仲尾台中出身)

 自分はサッカーを幼稚園の年長からやっていて、当時は本当に友だちと遊ぶだけという感じでやっていたので、技術の面はあまり気にせず楽しくやれればいいと思っていました。小学校、中学校と上がっていってもそれは変わらず、なんだかんだで試合にも出られていたので特に何も気にすることなく今まで通りサッカーをやっていました。実は自分はもう十分サッカーはやったから、そろそろ他のスポーツをやっても面白そうだなと思っていました。候補としてはバレーボール、弓道などを考えました。また軽音楽部なんかも楽しそうだなと思っていました。しかし、同じ中学校から金沢高校に入学してきた平本君などに誘われて、やっぱりサッカー部に入部することを決めました。入った当初はグラウンドもろくに使わせてもらえず、パスの練習ばかりしていました。ただ先輩たちの試合を見て華麗にパスが繋がってシュートしているところを見て、中学校までの楽しいだけのサッカーではなく、しっかりとした技術を備えたよりサッカーらしいサッカーをする場所なのだと理解し、自分もピッチであのようなプレーをしたいと感激したので、そのような練習も苦ではなく、むしろ自分に足りていない部分だと思い丁寧に練習しました。今思うとこのパス練習は本当に金沢のサッカーをする上で、必要不可欠な練習であらためて真剣にやっておいて良かったと思っています。

 練習の中できつかった練習といえばやはりロングランからのインターバル20周と20kmランでした。共に終わりが見えない感覚に陥り、終わった後は感覚が狂い普通のラントレーニングが少し楽に感じるようになるほどでした。これらのおかしくなりそうなトレーニングの数々の中、「やめたい」や「入る部活を間違えた」などと言う人もいましたが、自分は一度も考えたことはありませんでした。この部活に入ったからこそサッカー部の先生、先輩、後輩や同期のみんなと仲良くなれたし、なんだかんだトレーニングの後の更衣室でのどうでもいい話やその日の愚痴などもとても良い思い出ですし、漫画のような甘酸っぱい青春は送れなかったけれどそれでも自分の人生の中で色濃く残る良い高校生活を送れたと思っています。

 自分たちの代では金沢高校サッカー部はあまり良い戦績を残すことができませんでした。しかし、後輩たちはみな自分たちよりも上手で、足の速い選手、身体の強い選手、テクニックのある選手など多種多様な選手がいます。自分たちの代でも試合に出ていた選手もいて経験もあります。はっきり言って自分たちの代より断然強いと思います。しかしだからと言って油断してはいけません。自分たちも1年生の頃はそれなりに上手だ、成長したら強くなるぞ、と言われたけれどこの結果でした。なので気を抜かず日々の練習を大切にして、試合では一つでも多くのことを吸収して、昨日よりも今日、今日よりも明日の方が上手くプレーできるように精進していってください。応援しています。

 3年間ありがとうございました。

廣澤 将人(日野南中出身)

 自分はサッカー部での活動を通して様々なことを学びました。1つは目的を持って行動することの大切さです。自分が1年生のときは練習などサッカー部の活動全般において目的を考えずにこなすことが多くありました。そのせいで退屈に感じたり、面倒と思うことが何度かありました。しかし、学年が上がるにつれ、徐々に目的を考えるようになり、充実した時間を過ごすことができました。

 またサッカー部での時間を振り返ると、自分が思うようなプレーが出来ず悩んだことや体力的にきつい練習など、大変なことが多くありました。しかし、その分チームで勝利をつかんだときの喜びは大きく、本当に嬉しかったです。また、昼食を食堂に集まり食べていたこと、部活後の更衣室で騒いだことなど全てが自分にとってかけがえのない時間だと感じます。また、68・69期はレベルが高い選手が多く、上の代の試合で活躍する選手や、練習後に残ってトレーニングをしている選手もいたのでとても刺激になりました。そして、個人的には選手権が終わってから三浦学苑高校との試合(K3リーグ)までの期間が印象に残っています。選手権前までは負けたら終わってしまうプレッシャーなどもあり緊張した雰囲気の中でプレーをしていましたが、選手権が終わってしまった後の期間はそういったものから解放され、のびのびとプレーすることができ、純粋にサッカーを楽しめたと思います。

 このような貴重な体験ができたのは、色々な方の支えがあったからだと思います。本当にありがとうございました。これからもサッカー部で学んだことを活かしてがんばりたいと思います。

松野 貴充(岡村中出身)

 自分にとってサッカー部での活動は、それ無しでは高校生活を語ることのできない特別なものでした。自分は小学校の頃からサッカーをやっていますが、そのサッカー人生においてほとんど同じポジションでの同学年のライバルというものがいたことがありませんでした。小学校の頃も中学校の頃も、自分の代あるいはその1つ上の代になれば必然的に試合に出るキーパーは自分になる、そんなサッカー人生を今まで歩んでいました。高校に入ったらキーパーが何人もいて、自分はスタメンになることも難しかったりするのではないかと高校に入る前には思っていましたが、高校に入っても自分には同学年のライバルというものはいませんでした。先輩にはとても上手いキーパーがいましたが、自分の代になればやはり試合に出るキーパーは自分になっていきました。そんな今までがあったことにより、自分は本当に甘えたプレーヤーになってしまっていました。チームメイトから厳しく言われることもあまりなく、危機感も抱かずに練習に取り組んでいました。しかし、3年に上がり、選手権、そして自分たちの引退というものが明確に視野に入ってきて、自分が出る出ないではなく、チームが勝つためにこのままではダメだと考えるようになっていきました。情けないキーパーが試合に出ることはできても、それでは良い結果を残せない、そう考えライバルがいなくとも自分をライバルに据えて、プレーに磨きをかけていくことに気づき、それを日々の練習から考えていくようになりました。

 そんな自分が変わるきっかけとなったターニングポイントはK3リーグでした。1つ目は横浜栄高校戦です。チームメイトからは試合後に怒られ、そこで自分の未熟さと意識の足りなさを改めて痛感させられました。2つ目は秦野高校戦、試合前に粉川先生から怒られ、そこで気合が入り良いプレーをすることができました。自分は、試合に対する意識と覚悟に気づくのが遅かったのです。しかし、この2つの試合におかげで意識が変わり、その後選手権でも良いプレーが生まれたと思っています。

 高校に入るまで正直なんとなく続けていたサッカーが、金沢高校サッカー部に入ったことで本気になり、とても楽しくて一試合一試合が充実したものになりました。金沢高校サッカー部が自分のサッカーに対する価値観を大きく変えてくれました。

 これから大学へ行っても、サッカーに関わりながら高校で培ったものを活かしていきたいです。

溝尾 真(領家中出身)

 サッカー部で過ごした3年間を振り返ると本当にあっという間で濃い3年間だったと思います。

 自分は金沢高校サッカー部に入ってサッカーへの向き合い方が変わりました。中学生のときは深く考えてサッカーをしていなかったのですが、高校生になって一つひとつのプレーやプレー以外の体重管理やフィジカル面にもこだわるようになりました。また、考えてサッカーすることの楽しさと難しさを知りました。自分たちの代のリーグ戦では個の力が自分たちより高いチームと試合することが多く、その中で勝つためにはチームでつながり頭を使わなければいけませんでした。先生が編集してくださったビデオを見て相手を分析したり、勝つ方法をチームで模索し、練習に取り組んだ日々はとても有意義な時間だったと思います。リーグ戦では勝つことができませんでしたが、自分たちの考えていたことを試合で実践できたときが一番楽しい瞬間でした。

 引退してあらためて感じることは、熱心な先生方やコーチ、トレーナー、保護者の方々、チームメイトなど本当にたくさんの方々に支えられて、素晴らしい環境でサッカーができていたなということです。金沢高校サッカー部に関わってくださった全ての方々に感謝しています。本当にありがとうございました。

六本木 雄太(鶴見中出身)

 この3年間を振り返って僕はサッカー部にいることができて本当に良かったと思っています。「僕はこの学校にサッカーをするために来た」そう自己紹介のときに言いました。この言葉は本当で今でも変わりません。

 このサッカー部では色々なことを経験しました。今までは正直、サッカーをするときに頭を働かせていませんでした。しかし、このチームに入ってこのプレーにはこういう意味があるというのを教えてもらうたびに今までになかったサッカーの楽しさを知ることができたし、またサッカー以外にも挨拶や地域とのふれあいで人間的にも大きく成長できたと思います。

 選手として振り返ると自分は特別何かが上手いわけでもないし、足も速くなければ体力もないという頼りない選手だったと思います。でもサッカーをすることは楽しくて気づけば声を大きく張り上げている自分がいました。きついと思うことも挫折も数えきれないくらいしたけれど、隣を見ればがんばっている67期のみんなにありがとうと伝えたいです。

 こんな迷惑ばかりかけている僕でしたが熱心に指導していただいたスタッフ、支えてくれた保護者、色々なことを教えてくれた先輩、共に闘ってくれた後輩の方々には本当に感謝しています。本当にありがとうございました。