卒業生の言葉(69期卒業生 2021年3月卒)
キャプテン 蔵並 想(横浜市立境木中出身)
中3の自分にはこの学校に入れて本当に良かったなと言いたいです。
60人のメンバーをまとめるキャプテンをやらせてもらえたり、毎日サッカーを楽しくやれて、この3年間本当に充実していました。今の自分は完全にこれらの経験の上に成り立っています。
金沢高校のサッカー部の部員であったことを誇りに思ってこれからも頑張っていきます。
今やっている練習はより上手くサッカーをチームでできるようにするためで、上手くやれればやれるほどサッカーが楽しくなるはずです。要は今やっている練習は全てよりサッカーを楽しむための練習です。もっともっと金沢のサッカーを極めてやってても見てても楽しいサッカーをできるようになって欲しいです。頑張れ金沢!
副キャプテン 佐藤 有将(パルピターレ出身)
私が中学生だった当時、入試直前の11月にも関わらず志望校が全く決まっていなく、そんな時に金沢高校の存在を知りました。部活の見学をし、そこで熱心に部員を集め声を荒げ指導する顧問の先生がいらっしゃいました。自分もこの先生の元でサッカーをしたい、そう思い金沢高校を目指すことになりました。やはり私の中で恩師との出会いは大きく、今までの自分の考え方が大きく変えられました。そして、一年生の最初の夏合宿、新人戦と積み上げていく中で日々自分の成長を実感していたし、毎日毎日が刺激で溢れていました。2年生に上がり先輩達が引退して自分達の代になり、副部長に就任した時には絶対先輩達の記録を超えると強く誓いました。結果的に記録として残すことはできなかったけれど、その時その時で全力を尽くてサッカーができたので後悔はないです。そしてこの3年間、私はもちろんサッカーの技術面でも大きく成長することができましたが、それ以上に1人の人間、男として大きく成長させていただきました。副部長としてチームをまとめる中で、苦しいことが多くありました。そんな時でもいつでも周りに仲間がいてくれたおかげで乗り越えることができたと思うし、その苦しい経験が今の自分をつくっていると胸を張っていえます。私は自分が正しいと思ったことを突き通すことができたのでこの3年間に悔いはありません。それができたのも両親や周りの方々ののおかげです。最後にはなりますが、金沢高校サッカー部に関わって下さった69期のみんな、先輩、後輩、スタッフの方々、保護者の方々、本当にありがとうございました。
副キャプテン 大谷 光孝(FC湘南出身)
少しドキドキしながら行った初めての練習会。それが金沢高校サッカー部に初めて関わった時でした。あれから3年以上が経ち、先日引退しました。この3年間で学び、得たものは、これからの人生においてとても価値のあるものばかりです。
小学校から中学校までドリブルばかりの練習で、パスサッカーなど全くやったことのない自分にとって、金沢に入るのは新たな挑戦でした。特に中学時代、ポストプレーという概念すら持っていないままプレーしていたほどです。そんな自分ですが、金沢サッカーに馴染むことができました。それはなぜか。一番の要因は、日々の練習を大切にしていたことだと思います。当たり前のように練習していると、日々の練習の重要さを軽視してしまいがちですが、無駄な練習はひとつもありません。むしろ練習に対する意識でうまくなるかならないかが決まります。私は練習でやったことを試合でできるようにするという単純で当たり前ですが、目先の結果が欲しいあまりに忘れてしまいがちなことをしっかり意識していました。例えば攻撃の選手だと、もちろん自分の結果を求め、必死にゴールを狙うことは言うまでもなく大切なことです。しかしそれだけでは成長の幅が狭くなってしまいます。やはり、その週、またはその月に意識してやってきたことを試合でできるかということをしっかり試し、追求してほしいです。もちろん相手がある競技なので、成果が思うように発揮できないこともあるかもしれませんが、どれだけできたか、それをしっかり分析して次に繋げてください。この作業を積み重ねて、ぜひこれからの大会で頑張って欲しいです。ずっと応援しています。
今年度はコロナウイルスの影響もあり、思うようにプレーできませんでしたが、最後の選手権ブロック決勝まで金沢サッカー部の一員として戦えたことを誇りに思います。今まで支えてくださった先生方、保護者の皆様、そしてサッカー部の仲間たちには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
齋藤 蒼太(横須賀市立鷹取中出身)
私がサッカー部にいて1番感じたことはサッカーが出来る環境にいるということは感謝しなければならないということです。新型ウイルスの影響で学校や部活がなくなり今まで当たり前に出来てたことが出来なくなった時に自分がどれだけ恵まれた環境にいるかを実感させられました。また毎日お弁当を作ってくれた母親や部活を指導してくださった先生方やトレーナーの存在にも改めて感謝しなければならないと感じました。学校や部活がまたいつ休止になってしまってもおかしくない今だからこそサッカーができる恵まれた環境に感謝をすることが大切だと切実に思います。そして感謝の気持ちを持つことが日々の練習の貴重さを知ることに繋がり、そのことが練習の質の向上に繋がると私は思います。練習が出来なくなってしまった時にもっと全力で練習に取り組むべきだったと後悔するのが1番やってはいけないことだと思います。そういったことをしないためにも後輩達には自分がどれだけ恵まれた環境にいるかということを改めて確認してほしいです。同じ志を持った仲間がこんなにも大人数で一つの目標を目指すというのは高校を卒業してしまうとそうそうあることではないと思います。部活が終わった後に悔いが残らないように日々の練習を全力で尽くし、目標を達成してほしいです。部活の仲間や部活で学ぶことは自分にとって生涯の財産に必ずなります。部活動に全力を尽くすことはサッカーの技術の向上だけでなく、この先の社会を生きていく上での周りとの協力だったり、受験勉強などにも繋がっていきます。部活が終わった後に悔いを残さないためにも日々の練習に100%の力を注ぎ、これからの日々を過ごしてほしいてす。
前山 工(横浜市立小田中出身)
高校を卒業して3年間を振り返ってみると沢山の出来事がありました。その中でも絶対と言っていいほど1番に部活のことが思い浮かびます。
自分は小学1年生からサッカーを始めました。しかし、小学4年生から小学6年生のゴールデンエイジと呼ばれる期間にクラブチームに所属していませんでした。その期間は週1でサッカースクールに通っていましたが、いろんなことがあり一時期通わない時がありました。中学生になりサッカー部に所属し部長も務めましたが不完全燃焼で終えてしまったので高校でもサッカーをしたいと思い鎌倉高校か金沢高校かで悩んだ末、金沢高校を選びました。今思うとこの選択は大正解でした。
しかし、すべてがうまくいったわけではありません。間違いなく辛いことの方が多かったです。怪我に悩まされた時期やコンディションが不安定な自分に苛立ってたことがよくありました。K3の昇格戦の相手がベルマーレBに決まっときは「自分がどこまでできるのかチャレンジしたい。」と思っていました。しかし、先輩とのポジション争いに苦労してる中、1週間前に怪我をしてしまいベンチ外で試合を観戦していました。結果は0-3で負けてしまいチームとしても個人としても本当に悔しかったです。
コロナ禍に入り7月に部活動が本格的に始動しましたが最終的に残った3年生は6人だけでした。今まで一緒にいた仲間がいなくなるのは本当に心苦しく、それに加えて怪我もしてしまい更には受験のことで悩まされ、正直選手権が始まるまでは辛かったです。しかし2次予選に進出したら桐光学園と対戦できることを知った時、ベルマーレの時の悔しさを晴らせると思い横須賀総合を倒して2次予選に行きたいという気持ちが強くなりました。ブロック決勝は横須賀総合に0-2で負けてしまい、桐光学園と対戦するチャンスを逃してしまいました。本当に悔しくて泣きながら人工芝を握りしめてたのは今でも覚えています。
辛いことの方が多かったから楽しいことが本当に心の底から楽しめた気がします。サッカーやプライベートでも69期の仲間とは楽しかった思い出ばかりです。コロナの影響で振り回された時期もありましたが、そのおかげで仲間の大切さに改めて気づかされました。この3年間は僕の人生にとって最高の宝物です。この経験はこれからの人生に役立てたいと思います。最後になりますがお世話になった先輩、後輩、保護者様、粉川先生、林先生、白鳥先生、神馬先生、藤田先生、福嶋先生、森さん、池田コーチ、藤原コーチ、そして69期のみんな本当にありがとうございました。
篠原 崚雅(横浜市立仲尾台中出身)
僕は歴代金沢高校サッカー部の中で1番サッカーの技術がない選手であるという自負があります。
小学校時代に少しだけサッカーをかじっていたのですが、中学では剣道部に所属し、ほぼ高校からサッカーを始めたというような金沢高校サッカー部のスタートでした。
入部当初(結局3年間でしたが)は本当に試合中にミスばかりしていて、何度も退部を考えました。
しかし、そんな僕にアドバイスをくれたり、親身になってくれた67.68期の先輩方、69期の仲間、70.71期のみんな、スタッフ、保護者の皆さんには感謝しかありません。僕は素晴らしい仲間に恵まれたなとつくづく感じます。ありがとうございました。
3年間通して思い出されるのは、周りの人達に言われた「お前なんで高校で剣道やらなかったんだよ」や、「中学時代にサッカー部に入ればよかっただろ」というような言葉です。特にこの言葉で傷つけられたというような経験はないのですが、それについて毎回思うことがあります。僕は中学時代に剣道部に入ったこと、高校でサッカーをまた始めたことは一切の後悔はありません。中学時代に剣道部に入部したからこそ金沢高校に入学できたと思うし、高校でサッカー部に所属していたことで人として成長できたと感じています。
この3年間で部活動以外にもたくさん成長の場をいろいろな方々に与えてもらいました。次のステージでさらなるステップアップに繋げていきます。ありがとうございました。
森上 蒼冴(横浜市立富岡中出身)
振り返るとあっというまで濃い3年間だったと思います。高1の4月、視聴覚室で69期全員が粉川先生に「サッカーに対する意欲が足りない」と喝を入れられスタートダッシュを切ったのがまだ記憶に新しいです。そして、ポジション争いをしたり、共に切磋琢磨しあえる仲間がいるようなシビアな環境にとても感謝しています。
中学では比較的人数が少なく、水準も低かったため適当に練習をしていても試合に出れたり副キャプテンを務めたりしましたが、高校サッカーはそんな甘くなく作戦ボードを見て一喜一憂して試合に出れたり出れなかったり。試合で成功体験をして気持ちよく遠征から帰ったり、逆に反省点から次への課題を収穫して帰ったり。言葉に表しにくいですが、そんな一人一人が「本気」で取り組む金沢サッカーが大好きでした。
ですが、一つだけ後悔してることがあります。それは「ドリブルをしなかった」ことです。大前提、金沢はパスサッカーで組み立てるためドリブルの優先度はかなり低いですが、サイドの選手としてドリブルで1vs1の場面に出くわすことは必ずあります。裏を返せば、「他のポジションよりある程度ドリブルで仕掛けてもいい」という一種のサイド選手の特権がありました。
その特権を使うことなく3年間逃げてきてしまったのです。卒業アルバムの寄せ書きやサインボールに「ドリブルが上手」「もっとドリブルを見たかった」と沢山書いてあって、「逃げずにもっとアグレッシブに仕掛けていれば金沢サッカーの幅が広がったのかな。まだまだ隠し持ってるフェイント使えばよかったな。」と自分の強みを見つけてくれる仲間に感謝すると共に後悔しています。
長々と書きましたが、コロナの状況下だからこそ新しく見えてくるものがあると思います。69期全員が選手として選手権を迎えることができない異例の事態により残りたくても残れず、各々が苦しい決断を迫られました。自分は少しでも後輩に伝えようと思い8月の頭まで残りましたが、悔いはありません。でも、やっぱりみんな出場していたらどうなっていたんだろう、と気になります。
後輩に伝えることは三送会で伝えたとおり、「仲間を大事にすること」「自信をもって最後まで貪欲に戦うこと」です。三送会の時に伝え忘れたので補足しますが、自信を過剰に持つことは「傲り」に繋がり「横着」に発展するのでそこは履き違えないように謙虚にサッカーを楽しんで下さい。
最後に3年間貴重な体験を提供してくださったスタッフ、保護者、部員の皆様本当にありがとうございました。
新保 潤弥(横須賀市立鷹取中出身)
金沢高校サッカー部での過ごした日々は素晴らしいものでした。まず、この学校を選んだ理由はたくさんあります。自分は中学の時は人数が少なくポジション争いというものがありませんでした。しかし金沢は60人以上いて、金沢の繋ぐサッカーに憧れ自分自身のさらなる成長を求め入りました。入りたての当初の目標は2個上の試合出ることを目標にしてがむしゃらに練習をしていました。その結果、k3の試合に出させてもらい選抜にも選ばられ良いスタートをきったのですが、自分自身に満足してしまい、2個上の先輩たちが抜けてからはA戦で出る数が減り、それと同時に怪我を多くしました。そんな自分を変えるきっかけになった出来事がありました。それは、粉川先生にボランチに転向してみないかと声をかけてくださったことです。今までボランチをやることがなく、当初は全然ダメダメだったのですが、日々の練習に対する意識を変えていきました。上手い人のマネをしようとしていましたが、それでは自分の良さが活かされないことに気づき、自分の良さはチームを前進させるプレーだと思うので攻撃に積極的に参加することを意識していきました。そこから自分の調子も良くなり試合にらでることができるようになりました。このことから学んだことは、練習に対する意識は大事であり、自分の良さをどう活かすか試行錯誤することです。
次に後輩へ言いたいことは恐れず、自分に自信をもってプレーしてほしいことです。自信をもってプレーをしている選手が少なく自分自身の力を出せていなように感じます。なのでそこを意識して欲しいと思います。県ベスト8という目標たてると思うのですが、その目標に対して全員で向かわないと絶対に達成はできないので、全員が練習に対する意識を変えて絶対に目標を達成してください。
最後に先生方、コーチ、保護者とOBの皆様の支えがあり充実した高校サッカーをおくることが出来ました。3年間本当にありがとうございました。
伊藤 匠馬(横浜市立永田中出身)
自分はサッカー部での活動を通して様々なことを学び成長することが出来ました。一つには、目的を知って行動することの大切さです。自分が1年生のときは朝練習やランなどサッカー部の活動において目的や意味を考えずに低いモチベーションで参加することが多くありました。そのせいで退屈に感じたり、面倒と思うことが何度かありました。しかし、学年が上がるにつれ、徐々に目的を考えるようになり、みんなと同じ気持ちで練習に取り組むことで充実した時間を過ごすことができました。
他にも、たくさん成長する機会に出会えるとてもいい環境でした。自分は「継続は力なり」の言葉のもと大学でもサッカーへ関わり続けて、試合を見に戻って来たいです。
最後に、69期の仲間たち、スタッフ、金沢ファミリー、家族には、自分がサッカーを辞めない理由を支えてくださったことを感謝します。
青木 実成(横浜市立浜中出身)
自分は高校でのサッカーを通してたくさんの経験が出来ました。小学校や中学校の頃と比べると上手くいかないことが多かったのですがそれでも負けない根性を身につけることが出来たと思います。人数や先生方やグラウンドなどたくさん環境に恵まれたことが何より幸せだと思いました。特に感謝したいのは3年間ずっと応援してくださった保護者や先生など大人の方々で、高校生になってから大人のサポートのすごさに改めて気づくことが出来ました。そして一緒に戦って笑いあった仲間にも感謝しています。ほんとに今までありがとうございました。
西 暖(横須賀市立鷹取中出身)
金沢高校サッカー部で過ごした時間は自分にとって非常に濃いものでした。上手くいかないことが多く、辛いときもありましたが、その中で工夫して自分と向き合えたことはとても貴重な経験でした。サッカー部での時間を振り返ってみると、まず悔しい思い出がよみがえります。試合に出れないことやチームが勝てないことも悔しかったのですが、一番悔しかったことは自分自身の技術面の進歩が全く感じ取れなかったことです。自信を持てずに、弱くなっていく日々を過ごしていました。そんなときに力になったのが、努力を続けている仲間の存在です。そんな仲間を見て、自分を高めようと頑張ることが出来ました。最後まで結果を残せずに高校生活を終えてしまいましたが、周りの仲間に感謝する気持ちを持ちながらこれからの人生を歩んでいきたいと思います。
短い間でしたがいつも支えてくださった方々、本当にありがとうございました。在校生に多くのことを伝えられなかったのは残念ですが、金沢高校サッカー部の成長と目標達成を切に願っています。
遠藤 竜之介(横浜市立森中出身)
自分は小・中・高とサッカーを続けてきました。金沢高校での三年間は自分のサッカー人生の中で確実に一番充実した三年間でした。中学までは試合に出れるのが当たり前という環境の中でサッカーをしていたので高校に入り、はじめてメンバー争いを経験して毎日いい刺激をもらいました。辛いフィジカルを乗り越え、会場係として試合会場で話を聞きにいくこと、試合では自分の替えはいるという中での緊張感を受けながら、身体、人間性、精神の成長できた三年間でした。
今振り返ると、自分の課題をわかっていながら朝練に行くだけになっていて課題の克服のために使わず、ボールを蹴るだけになってしまっていたのだけが後悔かなと思っています。朝練に行ったのが無駄だったとは思っていませんがもっと有意義な時間の使い方が出来れば、もっと自分の中での優先順位の付け方がうまく出来ればよかったなと思います。
この三年間は多くの人が支えてくださったからこその三年間だったと思っています。今度は自分が誰かを支えられるような人になります。ありがとうございました。
大河原 英恵(横浜市立笹下中出身)
私にとって金沢高校サッカー部ですごした3年間はとても大切でかけがえのない時間です。
最初の頃は皆のようにサッカーが好きな訳でもないし、自分はここに居るべきなのか、本当に必要とされているのか悩み、少しサッカー部から離れた時期もありました。それでもやっぱりサッカー部のマネージャーでありたいと思わせてくれたのは皆のおかげです。
マネージャーはプレイヤーとは違い、ピッチに立って戦うことはできません。けれど、プレイヤーが最大の力をピッチで出せるようにサポートすることが役割だと思っています。どうしたら皆がサッカーに集中することができ、スムーズにいくかを沢山考えて行動してきました。その結果、視野の広さや観察力など、沢山のことを学び得ることが出来たと思っています。
また、皆の努力と成長を身近に感じれたことが私はすごく嬉しかったです。日々の練習を積み重ね、辛い合宿も乗り越え、目標に向かって切磋琢磨し、全力で試合に挑む。色々な事があったけど、皆の逞しく大きくなった背中は本当に頼もしかったです。
私たち69期は、新型コロナウイルスの影響で例年とは少し違った形の終わり方を選択しなければなりませんでした。これは私の中で唯一の心残りです。皆の選択が間違っているとは全く思わないし、それぞれが沢山悩んだと思います。でも、本当なら出来ていたはずのことが、たった1つのウイルスによって狂わされました。もう二度と戻ってこない時間を奪われました。私はそれがすごく悔しいです。もちろん時間を戻すことはできないけれど、そんな苦しい状況の中でも69期は全員で最後までやりきったと私は胸を張って言えます。
これからもコロナの影響などで上手くいかないことが沢山あると思います。ですが、どんな状況でも仲間を大切に、今できることを全力で取り組んでください。
69期の皆へ、3年間本当にありがとう。皆のおかげで今の私があります。皆と出会えて本当によかった!これからもずっと私の大切な仲間です。
最後になりましたが、私たちサッカー部を支えて下さった先生、スタッフ、保護者、OB.OGの方々など本当に有難うございました。沢山の方々の支えがあったからこそ私たちはやりきることが出来ました。金沢ファミリーは最高です!金沢高校サッカー部で学んだことを忘れず、誇りを持って、これからも頑張ります。金沢高校サッカー部が大好きです!!
原見 宇成(横浜市立港中出身)
高校サッカーを振り返ってみて、「楽しかった」の一言に尽きます。小学2年生の時に初めてサッカーをはじめ、中学サッカーを経験し、高校でも本気でサッカーをしたいと思い、金沢高校を受験しようと決めたことが昨日のことのように感じられます。チームで挫折を繰り返し、工夫を重ね、目標へと向かっていったあの期間はかけがえのない時間であり、自分の人生にとって財産と言えます。サッカーを通した人間性の成長ももちろんですが、何より、サッカープレーヤーとしての成長が1番でした。入学後の練習の際、高校サッカーの強度やレベルに圧倒されたのを覚えています。その中で、自分は何で戦いたいかを考えた結果、走りでの貢献や体を張ったプレー、両足のシュートであると思い、そこを突き詰めていきました。また、教育係や幹部を通して個人としてのサッカー以外の観点からもチームを支えられた経験はとても貴重であったと思います。
「楽しかった」と前述しましたが、悔しかった経験も同時に沢山ありました。試合に負けた時や試合に出れなかった時、メンバーすらに入れなかった時など様々な悔しい思いを味わいました。結果をすぐに追い求めてしまう自分の悪い部分をここで発見できたと思うと、必要な経験であったし、あの時の思いが今でも物事に挑戦する際の原動力となっていると思います。
最後に僕たちの3年間に携わってくださった全ての方にこの場を借りてお礼を言わせてもらいたいです。サッカーが大好きで入学してきた僕たちをサッカーが大好きなまま卒業させてくださって、本当にありがとうございました。
金沢高校サッカー部の今後の更なる躍進を応援しています。
佐藤山 知賢(横浜市立洋光台第二中出身)
金沢高校サッカー部での3年間を振り返ると、自分は周りの人たちへの感謝が真っ先に思いつきます。
特に自分は69期の仲間たちにすごく感謝をしています。毎日の練習で切磋琢磨したり、辛い時には励ましてくれたり、うまくいった時やうまくいかなかった時を一緒に経験してくれた仲間たちのおかげで自分は3年間続けてこれました。サッカーのことだけでなく私生活でも楽しい思いをたくさんさせてもらいました。この金沢高校サッカー部に69期として入れて本当によかったです。
そして3年間ご指導いただいた先生、スタッフの方々、たくさんサポートしていただいた保護者の皆様にも本当に心から感謝しています。
この3年間で経験したことを生かして大学でも頑張ります。3年間ありがとうございました。
霜出 拓海(横浜市立本郷中出身)
このサッカー部としての3年間を振り返るとこうしとけばよかった、ああしとけばよかった、と思うことが多くあります。長所を伸ばそうとして短所に目を向けずに正直つらいことから逃げてたことが1番の後悔です。後輩のみんなにはそういった後悔のないように自分自身とちゃんと向き合って頑張ってほしいと思います。でもサッカー部に入ったことは後悔してません。どれだけフィジカルトレーニングがつらくてもみんなとやるサッカーが楽しかったから、3年間続けてこれました。69期の仲間はもちろん、先輩や後輩にも本当に恵まれてたと思います。
また人としても大きく成長させてくれたと思います。セカンドチームで試合に出る選手を考えることを任された時にはみんなのプレーにより注意するようになり、自分のことだけに集中していてはだめな状況に置かれ、正直大変でした。しかし、その経験をしてから何事においても余裕ができたし、視野も広がったと思います。これはサッカー部でなくてはできなかったことで、これだけではなく他にも様々な貴重な経験をしました。このような素晴らしい環境でサッカーができたことに感謝しかありません。本当に金沢高校サッカー部を選んでよかったです。
森口熙(横浜市立日野南中出身)
自分は小、中とサッカーをしてきましたが高校での部活動のサッカーは一番本気で取り組めたし一番充実していたそんな3年間でした。この3年間を通して自分は様々な経験をし、成長することができたと思います。自分はうまくいかない時、辛い時期などもたくさんありましたがここまでやってこられたのは周りの人達の支えがあったからだととても感じています。
金沢のサッカーは戦術がしっかりしていて本当にみんなで繋ぐサッカーだったので最初は自分がそこにしっかりと入っていけるのか不安がありましたがそんなときも先輩方や周りの仲間たちに教えてもらったり、一緒に考えたりと支え合ってやってこれました。また自分の武器も分かってきて自信がついてくると試合も練習も楽しくなって純粋にサッカーを楽しめるようになっていました。やっぱり単純なことだけど自分の今一生懸命やってることを楽しむってことは大事なんだと思いました。大会や合宿、日々の練習どれをとっても本当にいい思い出です。
やっぱりこんな最高の時間を過ごせたのはここまで自分たちを信じて指導してくださった先生方、先輩方や後輩のみんな、保護者の方たちのおかげだと思います。ありがとうございました。そしてなによりマネージャーも含め一緒に駆け抜けてきた69期のみんなには本当に感謝してもしきれません。試合でも後ろから見ててみんなが頑張ってる姿に僕自身なんども励まされました。そんなみんなとここまでやってこれてよかったです。このサッカー部での経験を活かして次のステージでも頑張ります。金沢ファミリーのみなさん本当にありがとうございました!
小林 颯太(横須賀市立鷹取中出身)
高校3年間を振り返ってみて、勉強の事はほとんど覚えてないけど部活の事は鮮明に覚えています。それくらい自分の高校生活は部活中心にできていたんだなと感じました。辛い事9割楽しい事1割でしたが、よくやり切ったなと自分でも感心しています。
1番印象に残っている試合は3年の選手権、横須賀総合戦です。とても悔しい思いをしたけど、後悔はないです。最後まで続ける事を応援してくれた家族や69期のみんなには感謝しかありません。サッカー部で培った事をこれからの糧にして頑張っていきます。
金沢高校サッカー部に所属していた事は俺の誇りです。サッカー部に入って最高の仲間や先生方に出会えて本当に良かったです!俺の高校生活の全てです!本当にありがとうございました!!
加藤 慎吾(横浜市立丸山台中出身)
金高のサッカー部の試合を初めて見たのは僕が中学3年生の夏で、その時に応援をしてる人全員が全力で声を出していました。自分が通っていた中学ではなかった光景だったのですごく憧れました。もともと金高に入学したい気持ちはあったのですがそれにより一層その気持ちが大きくなりました。
実際に金高に入学し、サッカー部の一員となった時に自分の予想よりチームが一丸となっていてこの学校に入学できてよかったと思いました。休校で集まれない時もそれは変わらずオンラインでミーティングやトレーニングなどまた全員でプレー出来る時に備えてみんなで出来る事を全力でやっていて金高らしいなと思いました。僕は3年間このような環境で活動できて本当によかったと思っています。
最後になりますが、先生方や保護者の方々、本当にありがとうございました。
神田 淳宏(横浜市立浜中出身)
僕は高校入試の際、志願変更をして金沢高校を受験しました。金沢高校を選んだのもたまたまでした。たまに、もし志願変更をしていなかったら、もし違う高校を受けていたら、と考えることがありました。比較はできませんが、僕は金沢高校でサッカーができてよかったと思います。それは、サッカーに向き合い、考え、みんなで協力して取り組むことができ、金沢高校でのサッカーを通して、そういったところに楽しさを感じることができたからです。
また、新型コロナウイルスの影響で、思うように部活ができなくなってしまいましたが、当たり前のようにできていたことが、当たり前にできなくなったとき、サッカー部が僕にとって大事なものだと気づきました。このように思えるのも、金沢高校でサッカーができたからです。
同時に、69期のみんなや先輩、後輩、先生やスタッフのみなさん、また、両親といった多くの人に支えられてサッカーができたことを本当に嬉しく思っているし、とても感謝しています。
ありがとうございました。
中尾 歩夢(横浜市立日野南中出身)